空閑俊憲の日記

PurpleTaraPress © Toshinori Kuga,2008-2014

海の涙


      ある夏のフィッシャーズ島の思い出/空閑俊憲



波打ち際にしゃがんで
海の涙を拾った
それは塩の結晶にも似た
小粒の石英
丸みをおびた
純白と半透明とが混じった涙
しかし、塩のように辛くはなく
砂糖のように甘くもない
蝋燭の雫のようだ
ぼくの心に
星屑のように散らばった空白か
幾千回も幾千回も祈り続ける
海の数珠か



この島の浜には
紅白のはまなす
紅い実をつけている
庭には色とりどりの花が
咲いている
美しいけれど
どことなく寂しい
思い出がないからだ
子供の頃
ここで遊んだ記憶がない
お婆ちゃんと話した場所がない



蓮の花の蕾み
幸運な徴
チベットの兄弟たちよ



チベットを守った古い歌
真昼、三匹の蝶が戯れながら
空へ空へ舞い上がる
ふたりの若いチベットの尼僧と
ぼく自身か
そこに癪な海燕が蝶を襲う
野うさぎが知らないふりして
事の一部始終を眺める
夜中、一匹の虎猫が
子兎の頭を喰いちぎる
四匹の猫が小さな鼠を襲う
手傷を負ってしまったけれど
ユリの葉むらの岩陰から
どうか出てきませんように
長老の黒猫が岩の前を見張っているよ
蜘蛛の巣越しに北極星
弱い希望の光りを放っている



この家には人間の顔をした
カマキリがいる
雌だから質が悪い
彼女の気性は島の天気のように
気まぐれ
祈祷のかわりに箒を持って
毎日毎日、主人の邸を掃除する
小さなゴミを見つけるたびに
大きな叫び声をあげる
哀れな女だけど
女カマキリには気をつけて
心を許すと頭を取られる



この島には
珍しい鳥が棲んでいる
霧深い朝に
潜水艦色した暗い鳥は
垣根で
赤児のように鳴く
鵜が海面を叩いて
飛び立つ
白鷺は間抜けな蟹を狙う
食欲旺盛の雁の親子は
庭に糞を撒き散らす
電信柱のてっぺんには
鷲が大きな巣を構える



仕事の後
ぼくはあの秘密の浜へ降りる
海の涙を拾うために
ほんとに不思議ですね
毎日新しい貝殻や涙が
砂から現れる



蓮の花の蕾み
幸運な徴
チベットの兄弟たちよ



ふたりの尼僧が
フェリーに乗って去っていく
朝霧のなかに
白い筋を残して消えていく
どうかまた帰ってきてください
ぼくは浜へ急いだ
海の涙を拾うために
ひとつひとつ数えて
108コの涙を拾った



蓮の花の蕾み
幸運な徴
チベットの兄弟たちよ



ぼくの心にいつも流れる
古い歌
蝉が啼く
楽しい小鳥のさえずりが聞こえる
黄色い花、紅い花、紫色の花、白い花
いつかチベット
平和な日が訪れますように