空閑俊憲の日記

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<ナムゲとその女性歌手たち> 空閑俊憲

<ナムゲとその女性歌手たち> 

アチョ・ナムゲには二人の女性歌手が連れ添っていました。シミ(猫)とポロ(鴉)。どちらもあだ名ですが、写真と照らし合わせると、なるほど上手く名づけたものだと笑ってしまいます。(写真右端がシミ、左端がポロ)シミは猫のような顔をしていますし、ポロもそうです。私が初めてこの写真資料をニューヨークのウエストヴィレッジにあるラチェ図書館(チベットに関する専門資料館)から入手したとき、私は喜びと同時に驚いてしまいました。実はシミが私の姉、通子の若い頃に瓜二つなのです(笑)。シミの実名はソナム・ヤンゾン、ポロはプルボ・ドルマでしたが、ラサの女性たちの激しい嫉妬から陰では本名を呼ばれることはありませんでした。当時の女性歌手や踊り子たちは(この点では私の姉とはまるっきり正反対であると断っておきますが)、身持ちが悪かったのでしょう、別の呼び名が、シミ・ランバとかポロ・ランバ、つまり『売女』の意の言葉がついていたくらいですから。
ソートレイク市のサンポ・リンポウチェの家に、とても古くて珍しいカセット・テープがあり、一度聞かせていただいたことがあります。そのなかにトーシェ『ダワ・シュヌ』(月の曲、ケルサン・ラワン作)を唄い、踊っているある女性歌手がいました。録音状態は悪く、風野原から聞こえてくるような雑音混じりの唄声でした。これがどうやらシミらしいというのです。現代の最高峰に位置するナンマ・トーシェの女性歌手たち、たとえば、パッサン・ドルマ、チミ・ユドン、ケルサン・チュキ、チュリン・チョドンたちと比較すると、もっとぶっきらぼうな唄い方で、踊りの部分、トクシェ(速曲)ではなにか日本の下駄でも履いているような激しいタップの音が聞こえて来ました。写真の中の三人が立っている足下の板は、ひょっとするとタップ用に使われていたのかもしれません。写真中央のやや年上に見える女性は、アチャ・イッツァ。ネパールの踊りを得意としていたそうですが、それ以上詳しくはあまり知られていません。しかし、アチョ・ナムゲ、シミ、ポロ、この3人はナムゲのナンマ・トーシェ演奏には欠かせない当時大人気の顔ぶれだったのです。
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(注釈)トーシェ『ダワ・シュヌ』の作者、ケルサン・ラワンは『チベットの娘』の著者、タリン夫人の兄弟で、怠惰なリンポウチェであったそうです。結局は無実だと後で判ったのですが、ある嫌疑をかけられ死刑に処せられました。この月の曲は初めは作者によって『ケルサン・ラワン』と名付けられていました。つまり、作者自身の名前が曲名になっていたのですが、後になって『ダワ・シュヌ』(新しい月、つまり、今東の空にのぼったばかりの月の意)と改名されました。
今年の春、ソートレイク市で私は初めてタリン夫人のお嬢さんにお目にかかりました。私の演奏に感動してくださった方のひとりでしたが、70代半ばの非常に美しい人でした。
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(補遺)1920〜1930年代に現役として脚光を浴びていたアチョ・ナムゲ、サンポ・リンポウチェが6歳のとき、両親に連れられてその演奏会へ行かれたのが1929年。ちなみに、その頃の世界情勢はというと;
1929年 世界経済恐慌始まる
1930年 インド独立運動の気運
1931年 満州事変
1932年 満州国成立
1933年 ドイツ、ナチス政権成立
      日本、国際連盟脱退
しかしチベットは、このような動勢をよそに、インド北方アルプスの花の谷に咲くあの『幻の青い芥子』のように、世界とは隔絶された天空の孤高を守り続けていたのです。
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つづく   (2007年11月15日記)