空閑俊憲の日記

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『大ガラスに見入る瀧口修造』空閑俊憲

 今日慶応大学の瀧口修造アーカイヴに招かれて、雨のなかを道に迷いながら、二度めの訪問なのに夢現の思いで三田を歩きました。私の30年間の日本不在は、私を浦島太郎に変えてしまった。日本人の顔が皆同じ顔に見え、私は地上から20センチ浮上して歩いている。30年間で生まれた不在の産物は、私自身とまわりを歩いている若者たち。奇妙な日本語会話。漫画文化。
 郊外の住宅で見る独特の流行。そのひとつは家のまわりに飾られている過剰な鉢植え。色とりどりの鉢の花々は美しいが、私には取ってつけたような美しさ。造花のように見える。下町へ行けば、まだその美しさを感じるかもしれないが、花はやはり山野で咲いているのがいちばん美しい。自然の花は土塊や蜘蛛の巣がついていようと、花びらが欠けていようと、枯れかかっていようと、ほんとうに美しく見える。玄関の鉢の花たちは日本の報道に似ている。真実らしく見えて実は真実ではない。日本という国も同じように鉢植えを好んでいる。
 アーカイヴで田中名誉教授や朝木さんと話しているうちに、瀧口修造へ宛てた私の手紙がかなり保存されていることを知りました。瀧口先生がこのような恥ずかしくなる手紙を捨てないでたいせつに仕舞っておられたのには驚きました。前回もそうでしたが、今回も私の知らない写真を見せていただきました。そのひとつが今日掲載したものです。これはオリジナル写真のコピーですが、フィラデルフィア美術館デュシャン回顧展の会場で、瀧口修造が大ガラスに見入っているところです。私の30年間の不在の産物のひとつ、奈良原一高の写真集のなかに大ガラスについて書いた詩人の覚書きが紹介されているようですが、それはかれの大ガラス謎解きの経緯を知ることができます。
 しかし、私にとってどうしても気になることがあります。瀧口先生が書斎で奈良原さんのその写真ネガを見せてくださりながらおっしゃったこと、「デュシャンの大ガラスについてなにか絵本のようなものを考えている」。そのノートや原稿は今のところ見当たりません。いったいどんな絵本が構想されていたのか、どんな言葉が綴られようとしていたのか、私はこの写真を眺めながら、開かれなかったひとつのドアの向こうに、アントニオーニの映画の霧深い一場面が広がっているのを感じるのです。
                                2010年4月28日記