空閑俊憲の日記

PurpleTaraPress © Toshinori Kuga,2008-2014

『うなぎ』


 筑後川上流の脇に構えた料理屋『うなぎ』は熊本県小国にある。数百年を経た古い民家造りの店の暖簾をくぐると、奥の座敷まで長く続いた三和土の広い土間へ入る。ほとんど灯りのないこの空間で、客は伝統的日本家屋が古来より育んできた闇に抱かれる。闇と明かり取りの歴史は谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』のなかでも魅力的に説明されているが、日本文化にとって切っても切れない関係にある。闇と明かりは日本人にとって母親のようなものなのである。
土間の右手にある厨房からうなぎの蒲焼きの匂いがする。中で働いていた二人の女が厨房の入口あたりに顔を出し、客に笑みを浮かべる。女たちの顔をはっきりと見きわめるのは難しい。黒ずんだ古い家具や柱が暗闇の中で光っている。
 料理もうまいが、座敷から眺める筑後川も格別である。私は日本を離れて久しいが、日本的感受性はますます研ぎすまされていくようだ。たとえば、川を見つめながら、私は日本人の家屋についての考え方がよくわかるような気がした。筑後川があり、その傍に家を建てる。つまり、まず自然があり、つぎにそれに似合った建物を工夫する。このことが昔の日本人の心を捕らえていたのである。
しかし、今の日本人にとって昔のように家を建てるには、相当の財産家か、でなければ夢のような話である。ことに都会に住む人は自然と隔絶した環境で生活せざるをえない。最近、NHKの衛星中継を見ていたら、都市に改良した竹を植える、というニュースがあった。都会に適応した中型の孟宗竹で小型の竹林を設けるというのである。竹林といえば、風が吹き通るたびにさらさらと葉を鳴らして、風の道を拓く。あの感覚が都市のなかを走る、と思っただけで私は嬉しくなる。

                   2004年 空閑俊憲



(写真:筑後川、www.tobig.comから)