空閑俊憲の日記

PurpleTaraPress © Toshinori Kuga,2008-2024

久しぶりに眺めた日本/1995年のノートより

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 四月十六日。三年半ぶりに帰国。四週間の滞在で僕が見たもの、感じたこと。まず最初の一、二週間は奇妙な不安に襲われた。どこもかしこも圧倒的に日本人らしい東洋人がひしめきあっていて、圧倒的に日本語らしい言葉が聞こえてきたからである。おまけに時差のために夢うつつの僕は、どこを歩いても足が十センチくらい地面から浮上しているようだった。電車に乗ると、混んでいるときなど他人の顔が僕の眼と鼻の先にあった。これはほとんど恐怖に近い。ニューヨークを怖がっている日本人観光客が多いそうだが、僕は東京のほうが不安や恐怖を覚えた。
 東京には僕の望む『日本にしかないもの』はない。日本独自のものが幾層にも幾層にも異質文化によって簀巻きにされてしまっている。逆に異質文化を簀巻きにしてもらいたい。しかし一度、根津美術館を訪れたとき、そこにひとつキラリと光るものがあった。円山應擧作『藤の花』の屏風絵である。画面に気が漲っていた。何も描かれていない金屏風の前に立ちそれをじっと眺めていた作者の気配さえ感じられた。気合が入っているのである。制作時は伝統的なやり方で屏風は床に寝かされ、絵師は橋に乗り筆を動かしたのだろう。最初に蔓の部分が太い墨筆で一気に描かれている。神業である。力を抜くところも心得ている。次に緑の葉が描き込まれたが、蔓と重なる部分は墨と顔料とが弾きあって、ちょうど隈取りされた葉形の不思議な効果を生んでいる。そして最後に、花房が加えられた。画面にこれ以上多くても少なくてもいけない藤の花が鮮やかに表れている。おそらく花弁は白の顔料で予め地塗りが施されたにちがいない。この藤の制作過程はそのまま自然の藤の成長過程を見るようで興味深い。一瞬の開花に至る時間が観察できるのである。花はきらびやかな金箔を遠くに制し、澄みきった鏡の空間に咲いていた。
 電車の中でも、街中でも、やたらと携帯電話を使用する若い女性たちが目立つ。聞きたくもない会話を何度も聞かされているうちに、もう美しい日本語はなくなってしまったか、と残念に思っていたある日、町田近くの新横浜線の電車の中で二人の制服を着た五、六歳の子供がこんなことを話していた。
男の子「朝何時に起きたの?」
女の子(しばらく考えてから)「早かった。……雨が降ってたね。」
なんと美しい響きなのだろう。ぼくは思わず二人に見とれてしまった。こんな小さな子供の言葉のなかに一千年を経ても変わらない日本人の静かな自然観賞の生活態度が生きつづけていた。




写真:『藤花図』(ふじばなず)円山應擧筆
江戸時代 安永5年(1776)
紙本金地着色 6曲1双
写真上:右隻
写真下:左隻